平等と公平と現実。合理的配慮と迷惑の違い
少し前に、「合理的配慮はずるいのか」とという話題がありました。
nanaio.hatenablog.com
発達障害児に普通学級で迷惑をかけられていたらどうする?
平等と公平について議論されていたので、画像も引用しておきます。
引用サイトは2014年
【追記あり】「平等」と「公正」の大きな違いが1秒で納得できる画像 | BUZZAP!(バザップ!)
画像はbuzzupより
平等はそれぞれの状況を鑑みずに全員に対して同じ待遇を施し、結果野球の試合を見られない人がいます。しかし公正ではそれぞれの状況に応じて待遇を変え、全員が野球の試合を見られるようになっています。
実際のところ、この画像は正しいでしょうか。
個人的内見としては・・・
「合理的」の範囲であれば、必要な配慮はなされるべきですし、法律もそう規定しています。
でも、日本で弱者と呼ばれる人々(具体的に定義すると差別になるのであえてあいまいにします)は・・・
弱者であることを是とし、他人に迷惑をかけるのが当たり前だと思っているのは間違っていると思います。
自分には、日本の状況を絵にすると、下図のようになると思います。
合理的配慮のための踏み台(=養護学級)を利用せずに、健常者に肩車を強制する弱者。
発達遅滞の子が健常人の学級に通うというのも、同じ状況だと思います。
人は平等ではないのだから、障害のない人は障害のある人を支えてあげる義務があると思います。
でも、障害のない人の人生を邪魔する権利はないとfocuslightsは思います。